こんにちは。カナエです。今回は冬の季節になるとつい口ずさんでしまう童謡「たきび」について書きたいと思います。
知らない人とでも火を囲めば親しくなれるありがたかった「たき火」
童謡「たきび」の歌詞
<作詞>巽聖歌
<作曲>渡辺茂
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている
さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい
こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいてく
童謡「たきび」の作詞者
巽聖歌(たつみ せいか)
(1905~1973)
<画像出典>mainichi.jp/articles/20200911/ddl/k13/040/008000c
巽聖歌は1905年岩手県紫波郡に生まれました。本名は野村七藏で”巽聖歌”はクリスチャン名です。生家は鍛冶屋で14歳の頃、児童雑誌「赤い鳥」が創刊されると触発されて創作を始めました。20歳で日本基督教会の洗礼を受けてプロテスタントのクリスチャンとなり、讃美歌318番「主よ、主のみまえに」は巽聖歌が作詞しました。
聖歌は赤い鳥などの児童雑誌に投稿を続け、1924年には時事新報社に入社して雑誌「少年」「少女」の編集者となり同誌に作品を発表します。けれどその雑誌が廃刊となった翌年に退社し故郷に戻りますがその年に書いた童話が赤い鳥に掲載されると北原白秋に絶賛されて白秋の門下となりました。その後は白秋の門下で赤い鳥の同人たちと雑誌を創刊しますが、昭和10年に経済的理由で終刊しました。
昭和16年にJOAK(旧NHK)のラジオ番組の依頼で上京して住んでいた中野区上高田の風景を舞台にした童謡「たきび」を作詞し、その年に児童文化賞を受賞しました。
1961年産経児童出版文化賞を受賞。1972年日本児童文学者協会名誉会員となりました。
1973年心不全のために死去。
主な作品に「つばめのゆうびんやさん」「うんどうかいのうた」「コロポックル」などがあります。
童謡「たきび」の作曲者
渡辺茂
(1912~2002)
<画像出典>onotadao.hatenablog.com/entry/20140912
東京育ちで実家は呉服屋。1932年に東京府豊島師範学校(現東京学芸大学)を卒業すると都内の公立小学校や東京学芸大学付属小学校でおよそ30年間音楽教師として勤務しました。「たきび」は1941年にNHKから依頼を受けて作曲したもので、1952年からずっと音楽の教科書に載り続けた代表作となりました。
1950年に作曲家グループ「白濤会」に参加し、1954年に発表された「ふしぎポケット」は3年後にキングレコードから発売されてヒットしました。
1966年、墨田区の小学校校長と全小音研(全国小学校音楽研究会)理事に就任。3年後には東京都小学校音楽研究会副会長、その会長及び全日音研小学部会長となり、音楽教育団体の要の職を常任しました。
他の作品に「あくしゅでこんにちは」「ぶんぶんぶん」「でんしゃ」などがあります。
渡辺は巽聖歌の「たきび」の詞を読むと自然にメロディが頭に浮かび、わずかな時間で曲を作ったそうです。探し求めていた理想の詞に出会ったと作曲当時を振りかえっています。
童謡「たきび」の解説
カナエが小さい時は家の庭で落ち葉を集めてはたき火をしていたものです。冬の寒い日は小学校の帰りなど友達と当たらせてもらいました。知らないうちでも「入っていい」と招いてくれて火を囲む優しさがありました。大人になってもたき火していると少しの間手を暖めても怒られなかった思い出もあります。火を囲むってことは昔から皆でやることだというのが人間の本能になっていたのかも。
<画像出典>illustrator-factory.com/fallen-leaves-bonfire/
今はオール電化の家も多くて火を見ることが少なくなってきました。この間高野山に旅行に行きましたが止まった宿坊の朝の勤行を拝見していたら並んでいる蠟燭の炎が電気だったのにちょっとがっかりした経験があります。まあ資源は大事ですから仕方ないですが、あの炎の神秘的な揺らめきに癒されるんですよね。
この童謡に出てくる垣根もなかなかない風景になりました。垣根とは背の高い植物を植えて塀の代わりにしたものだけど手入れがいるしステンレスの柵でもつければそのままでいいから無くなっていくのは自然なことなんですが・・街の風情のある雰囲気を作ってくれていたものでもありました。竹垣のある道を歩くと気分も落ち着きますよね。作詞者の巽聖歌は垣根の道を散歩中にたき火の光景を目にしてそれを詞にしたんだそうです。
今は暖冬で今年(2023年)も12月になっても秋みたいですが、カナエの小さい頃は寒くて子供の頃手を洗ってハンカチを持っていないとすぐしもやけができました。この童謡が作られた当時化粧品会社から子供用クリームの宣伝にこの歌を使いたいと巽聖歌の所へ依頼が来たんだそうです。聖歌は高額のギャラを貰えるとわかりつつも「教科書に載っている歌だから」と断ったんだそうです。
カナエは北風の吹く寒い日に垣根の曲がり角でたき火を見つけた子供の弾んだ気持ちが素直に伝わってくるメロディーがとても好きです。
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