こんにちは!カナエです💛。
長かった「オスマン帝国外伝」シリーズもシーズン4が残り10話を切り、終わりが近づいてきました。今回は後継者にセリム皇子を選んだスレイマン皇帝、・・その心情に迫りたいと思います。
皇帝になったセリム皇子・・そのわけとは?

王位継承争いに敗れたバヤジト皇子は1525年に生まれ1561年に歿しました(享年36歳)。子供は5人の皇子と4人の皇女がいます。酒飲みのセリム皇子よりも武勇に優れていたバヤジトをスレイマン皇帝が疎んだ理由は何だったのでしょうか?
★このバヤジト皇子を演じたのは1990年イスタンブール生まれのAras Bulut İynemliさん。兄弟やいとこが俳優で芸能色の濃い家系のようですが、大学在学中は飛行機工学を学んでいました。気性の激しいバヤジト皇子のきりりとした表情が印象的でした。
バヤジトは父、スレイマンの目には反抗的な息子に見えた?
ドラマでははっきりとものを言うバヤジトは父のスレイマン皇帝と言いあう事も多々ありました。ハティジェ皇女の娘、フーリジハンと禁じられた結婚したこともスレイマンの怒りを買っています。そしてバヤジトとスレイマン皇帝の間に大きな隔たりが生まれたのは何といっても長子であるムスタファ皇子を皇帝が処刑したこと。敬愛する兄を失った悲しみでバヤジトの発した言葉が父帝には無礼千万に感じられたことでしょう。
それでもまだスレイマン皇帝はバヤジトを愛し信じようとしていました。
偽ムスタファ事件で罠に落ちたバヤジト

ムスタファ皇子の処刑後オスマン帝国内では処刑に不満を持つ者が多く、そんな不満分子を集めてムスタファ皇子を名乗る偽物が反乱を起こしました。スレイマン皇帝から命じられてバヤジトが反乱の鎮圧に向かいましたが、皇子セリムの支援者の大宰相によって反乱にバヤジトが協力しているという進言を皇帝は受けます。
ショックを受けるスレイマン・・けれどバヤジトの母ヒュッレム妃がこれはバヤジトを窮地に追いやろうとするものの謀だと訴え、大宰相の陰謀が明るみに出たことでバヤジトの嫌疑は晴れました。しかしスレイマンの心には偽ムスタファを早く処罰しなかったバヤジトへの疑念が残ったようです。(バヤジトとしては亡き兄のムスタファを慕っているものが反乱分子に多くいたので、まずは相手と話し合いをしたいと考えていたのですが・・・。)
王位継承をめぐる二人の皇子の争い

皇子セリムは病気のジハンギルを除く三人の皇子の中で一番臆病で何事につけても二人に比べて劣っていたようです。そんなセリムをスレイマンは何故王位継承者にしたのでしょうか?
それはヒュッレム妃亡きあとのセリムとバヤジトの争いにありました。この年の近い兄弟は子供のころから喧嘩が絶えませんでした。武術や芸道においてバヤジトの方がセリムよりも優秀でそんなバヤジトをセリムは妬んでいました。
ドラマの中でも子供時代にスレイマンが宝石の工芸品を二人に作らせたところ、バヤジトが見事な作品を作って父親から褒められたのをセリムが嫉妬してバヤジトの工芸品を壊してしまったという逸話がありました。セリムがやったのをバヤジトが知っていたのにしらを切るセリムに、バヤジトは子供心にも強い怒りを持ったのでした。
そんな子供時代からの確執が王位継承争いまで繋がってきます。でもセリムは本来気弱な性格なのでもし彼一人だったらそこまで弟と争おうとはしなかったのかもしれません。
セリムにはヌールバーヌーという野心に満ちた皇子妃がいました。彼女が夫を皇帝の座につけようとセリムにバヤジトを攻撃する様々な謀を吹き込んだのです。殺されかかったバヤジトはセリムと対峙するしかなくなり、スレイマンの信頼も失っていきました。
とうとう反乱を起こしたバヤジトをスレイマンは討つしかなくなり、一人生き残った皇子セリムが王位継承者になりました。
結局独裁者は自分にたてつくものを許さない?
ドラマの中でセリムは自分が次期皇帝の座に就けた理由を語っています。
俺が父上のいうことに一切逆らわなかったからだ
セリムは深酒ばかりしてスレイマン皇帝を落胆させましたが、禁酒すると言いながらその後も陰で酒を飲んでいました。でも父親の前では立派な息子を演じていました。
スレイマンが亡くなって皇帝になってもセリムは酒ばかりあおって政治は宰相ら臣下に任せっぱなしだったそうです。むしろ妻のヌールーバーヌーの方が政治に介入して活躍していました。セリムも人生で兄弟をすべて失うという辛い経験をして酒でも飲まなければいられなかったのかもしれませんね。
ドラマ「オスマン帝国外伝」では処刑された皇子のムスタファやバヤジトを同情的に描いています。特にムスタファは皆の信望を集めながらもヒュッレム妃の子供でないことが主な理由で処刑されたので、その死を惜しまれて悲劇の皇子として伝説になっています。
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