マグダラのマリアって何をした人物?映画「マグダラのマリア」でその人物像を探ってみた!

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映画記事

こんにちは。長ーい梅雨が終わりませんね。

この間日本人にはちょっと重いキリスト教の映画「マグダラのマリア」を観たのですが、実はカナエ、マグダラのマリアという女性がどういうことをした人なのか全然知りませんでした。ただイエス・キリストが処刑されたときにその亡骸のそばで涙を流す女性がそのマリアで・・そんなキリストの最期を描いた宗教画は多いですが…(こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど)イエスの奥さんだったのかな?それとも愛人だったのかな??なんて思ってしまってました。

<ドラクロワ「十字架上のキリスト」(1853)>

今はコロナ禍で旅行もなかなかいけませんが、カナエは去年までは海外旅行に何度か行っていたので、ヨーロッパにツァーで行くと必ずその国の名高い教会を訪問しました。そこで素晴らしいステンドグラスや絵画、パイプオルガンなどを眺めて感嘆し写真を撮るのですが、そもそもキリスト教ってものがわかってない東洋人にはその見事さはわかっても敬虔さや祈りの概念ってピンとこないんですよね。カナエなんて日本で真面目に教会に入った経験も殆どないのに上の絵のような十字架にかけられたイエスの像を見てもう~~ん???なんて唸るしかない

(-_-;)。

それでマグダラのマリアに戻りますが・・若い女性というのもあってセクシーなイメージをカナエはもっていました。そしてこの人がどんな人生を送ったんだろうと思いながら映画を観ていました。映画を最後までみてわかったのはマグダラのマリアはイエスの復活の証人として聖書に記されていたのに、6世紀のローマ皇帝に娼婦だったと言われたおかげでずっとそのイメージが消えなかった…やっとごく最近の2016年になってイエスの使徒と見なされるようになったということなんです。女性であるがゆえに気の毒なことに2000年にわたって世の中に誤解されていたんですね!

…というわけでこれから映画「マグダラのマリア」について詳しく書きたいと思います♥

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ルーニー・マーラがひたむきに師に従う「マグダラのマリア」を美しく演じきる!

♰映画データ

製作年

2018年 イギリス・アメリカ・オーストラリア合作映画
原題

Mary Magdalene
監督

ガース・デイビス
脚本

ヘレン・エドマンソン、フィリッパ・ゴスレット
キャスト

ルーニー・マーラ、ホアキン・フェニックス、キウェテル・イジョフォー、タハール・ラヒム他

♰映画のあらすじ(ネタバレ)

紀元33年ユダヤ人はローマ帝国を後ろ盾に持つアンティパス王の圧政に苦しんでいました。反乱ばかりが起こり平和は遠く、人々は救世主の到来を待ち望んでいました。

マグダラに家族と暮らすマリア(ルーニー・マーラ)は苦しんでいる人を助けずにいられない慈悲深い女性でした。彼女の父や兄は年頃のマリアを嫁がせようとしますが好きでもない相手との結婚を望まないマリアは反抗します。そんなとき病人を治す“癒しの手”をもち救世主と目される人物イエス(ホアキン・フェニックス)を師とする伝道集団がマグダラにやってきました。イエスが盲目の女の目を治すのを目の当たりにしたマリアは神に仕えたいと願うようになりイエスから洗礼を受けます。そして家族と決別してイエスたちの旅に加わるのでした。

<画像出典>https://yumak0.hatenablog.com/entry/2020/03/13/223617

エルサレムで祭りがある事からイエスの弟子たちはそこで信者を増やそうと考え、イエスとともにエルサレムに向かいます。癒しの手を持つイエスの名はエルサレムでも知れ渡っていて大勢の民衆がイエスのもとに集まりましたが、イエスは自分の行く末に死の影を感じていました。

<画像出典>https://yumak0.hatenablog.com/entry/2020/03/13/223617

その予見が当たってイエスはローマ兵に捕らえられ拷問をうけ十字架にかけられてしまいます。その亡骸は弟子たちによって洞窟に納められ入り口を石でふさがれました。しかしマリアは後にイエスが復活して崖の端に座る姿を見出します。マリアが近づくとイエスはマリアに柔らかく微笑むのでした。

イエスは女は種(たね)のような存在だと言いました。種は芽を吹き成長する。その枝に鳥が巣をつくり命を紡いでいくと・・。

<画像出典>https://yumak0.hatenablog.com/entry/2020/03/13/223617

マリアは他の弟子たちにイエスが復活したことを告げます。私たちでなく何故マリアが?弟子たちは不満そうでしたがマリアは彼らを「あなた達はきょうだい」と呼びました。

2016年、マグダラのマリアは“イエスの復活”の証人とされ使徒と同じ地位を認められました。

♰映画の感想

<画像出典>https://yumak0.hatenablog.com/entry/2020/03/13/223617

宗教映画は興味はあるものの宗教というものを教えられずに育った日本人のカナエには違和感の強いもの・・。でもかなり前に俳優のメル・ギブソンが監督した「パッション」というキリスト殉教の映画を観たんです。捕らえられたイエス・キリストが処刑されるまでの12時間を描いたものですが血だらけになるまで打たれ頭の皮膚に食い込む鋼の冠をかぶらされて自らが磔になる十字架を背負わされてゴルゴダの丘まで歩かされるイエスキリスト・・その壮絶さに映画とはいえ途中で気を失った方がいたそうです。

聖書ではアダムとイブが神々のいう事を聞かず禁断の実を食べたおかげで楽園を追放されたと記しています。アダムとイブの罪は人間の原罪とされ、人間とは罪深いもの・・その罪をキリストが肩代わりして磔になったとキリスト教は説いています。

そんなことを考えると、お坊さんの説教はお盆と葬式くらいでそれ以外は宗教とはあまり縁のないカナエのような日本人はこうした自分は罪深いと言う気持ちを抱きキリスト教を信奉する人たちに比べて浅はかな感じがします。でも教会に行くキリスト教の人だって人によって気持ちはさまざまだと思うんですが・・。

そしてイエスの誕生した時代は民衆が生きていくのが大変で神様に救って欲しかった、苦しい時の神頼みみたいな状態がずっと続いていたから今現在に続く骨太な宗教が生まれたんじゃないかなあ、なんて映画を観ていて思いました。

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