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【知っているようで知らなかった童謡の意味を調べてみた】唱歌<鯉のぼり>の“甍の波”ってどんなもの?

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こんにちは。カナエです😊。

昨日用事で30キロ先の街まで車で行ったのですが、青空に悠々と泳ぐ鯉のぼり🎏を発見!

ああ、そんな季節になったんだなあと思わず見入ってしまいました。

それにしても少子化のせいか子供の日に鯉のぼりをあげているうちをあまり見かけなくなって寂しい限りですね。昨日見た鯉のぼりは庭にポールを建てた大きな鯉のぼりでした。

夫は初節句だろうと言っていましたが・・後にも先にも鯉のぼりはそれ一つでしたね。まだ少し上げる時期が早いんだろうけど、親の子供への愛情が感じられてこっちも嬉しくなりましたよ✨。

余談ですが誕生日に夫が買ってくれたアジサイの花がとっても綺麗です。最近のアジサイは種類が豊富で花屋でどれにしようかなあ、と迷ったのですが大好きなピンクのアジサイにしました。

お花ってコロナ禍で落ち込みがちの気持ちを潤してくれて、とっても可愛くてありがたいものですね🌺🌺🌺。

唱歌<鯉のぼり>の歌詞で意味がピンとこないところは?

🎏唱歌 鯉のぼり

*🎏鯉のぼり 歌詞* 作詞不詳、作曲・弘田龍太郎

               1913年(大正12年)尋常小学唱歌


甍(いらか)の波と雲の波
重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり

開ける広き其の口に
舟をも呑(の)まんさま見えて
ゆたかに振(ふる)う尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり

百瀬(ももせ)の滝を登りなば
忽(たちま)ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と
空に躍るや 鯉のぼり

最初の甍(いらか)という言葉でつまづいてしまいそう。

甍とは屋根の瓦のことです。瓦はこう、くにゃっと曲がっているのでそれが一面にあると波のように見えるってことですね。瓦の波と雲の波が重なって見えるところ、橘の花の香りが漂う朝の風の中で高く上げられた鯉のぼりが揺れているさまを歌っています。

橘(たちばな)は昔から葉っぱや花が家紋や文様のデザインに使われきた日本固有の花で、5月ころ白い花を咲かせます。その香りはみかんに似た甘い香りだそうです。

(ちなみに最近建てられる家って瓦屋根にはしませんね。瓦屋根は日本家屋として風情がある屋根だけど、地震で落ちてきたら怖い。屋根に乗ってるとわからないけど結構瓦一枚って大きくて重いんです。崩れたら住人に被害が及ぶんで今の人は瓦屋根にはしないんでしょうね。

カナエの住んでいる家は古いので瓦屋根でしたが、やっぱり夫が地震対策で瓦を取っ払って屋根を新調しました。景観は瓦の方が良かったんですがこう地震が頻発するとまあしょうがないかなっていう感じです😅。)

歌詞の二番は鯉のぼりの勇猛果敢なさまを歌っています。昔の鯉のぼりは(ベランダにつるすようなのじゃなくて)大きかったから、風に泳ぐ姿は勇ましく見えて(結わえた口は舟も飲みこむ勢い、たくましく振れる尾ひれなど)、こういう歌詞になったんでしょうね。

歌詞の三番の「竜になりぬべき」というのは中国の伝説鯉が滝を登って竜門をくぐると竜になる(登竜門)からきています。そんな強靭な鯉のように男の子ならなって欲しいという願いを込めた歌詞なんですね。

3番目の歌詞まで青空の下で翻る大きな生き生きとした鯉のぼりを歌っていてとても元気になれる曲ですね。

でもちょっと歌詞が現代とはマッチしていない気もします。今はこっちの方がポピュラーに歌われるかな?

🎏童謡 鯉のぼり

*🎏こいのぼり 歌詞* 作詞・近藤宮子(1931年頃)、作曲不明


やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

よく聞く歌ですが、この歌ってお母さんが出てこないなあって思いませんか?

鯉のぼりって一番上に黒い鯉のお父さん、二番目に赤い鯉のお母さん、三番目に子供の鯉たちだと思うのですが・・。でもこれは現代のことで、この歌が作られた1931年頃は家父長制の時代でお母さんは表に出てこない存在だった、だから歌詞にないんですね。

歌一つにしても当時の時代というものを象徴しているんですね!

🎏鯉のぼりは戦後になって数が増えた?

江戸時代にはすでに鯉のぼりをあげる習慣があったんだそうです。

でもその鯉のぼりは黒色のまごい一匹だけでした。黒色のまごいは長男(嫡男)を表していてその誕生や成長を祝うためにあげたもので、家の存続や発展を願ったのでした。

そして明治から昭和にかけては父と子を表した親子の鯉のぼりが上げられ、戦後になって初めて緋鯉(ひごい)がお母さんになったんだそうです。

カナエの家も息子たちが小さいうちは🎏鯉のぼりをあげましたよ。うちのはベランダに吊るすやつだったんですが、夫が出張がちだったのでカナエが頑張ってあげたんですが子供たちに屋根より低い鯉のぼり~と歌われて悔しかったもんです。

所詮親の苦労なんて子供にゃ伝わらんのじゃ

現在25歳の次男は臆病で、低学年の頃は鯉のぼりの時期は青い顔で学校から走って帰って来ました。どうしたのと聞くと泣きそうな顔で鯉のぼりの目が怖いの・・と言っておりました。

当時は家から学校までの道で鯉のぼりを上げる家がたくさんあったんですね。

<画像出典>https://www.toysrus.co.jp/s/dsg-452994400

今となっては懐かしい鯉のぼりの思い出です😊。

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