こんにちは。カナエです。
毎日暑くってうだってますが、そんなとき「牧場の朝」という童謡を思い出して口ずさんでみることで涼しい気分にさせてもらっています。カナエはこの童謡はそのメロディーや歌詞から外国の曲に日本の歌詞をつけたんだろうと勝手に思っていたのですが意外に日本の曲だとわかりました。そこでこの曲について詳細したいと思います(‘◇’)ゞ。
🐎牧場の朝ってこんな曲
🐎「牧場の朝」の歌詞
牧場の朝 作詞 杉村楚人冠 /作曲 船橋栄吉 ただ一面に立ちこめた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木のうっすりと 黒い底から勇ましく 鐘が鳴る鳴る かんかんと 2 もう起き出した小舎小舎(こやごや)の あたりに高い人の声 霧に包まれ あちこちに 動く羊の幾群(いくむれ)の 鈴が鳴る鳴る りんりんと 3 今さし昇る日の影に 夢からさめた森や山 あかい光に染められた 遠い野末に牧童の 笛が鳴る鳴る ぴいぴいと |
🐎「牧場の朝」のモデルとは?
この歌は杉村楚人冠が福島県の鏡石町にある岩瀬牧場の鐘を聞いて詩を書いたと言われています。
岩瀬牧場は元御料牧場(皇室で用いられる農産物を生産している牧場)で、宮内省がここを民間に経営移譲した際に岸和田藩の最後の藩主である岡部長職(ながもと)公が初代の経営者になりました。
そして明治40年(1907)、オランダからホルスタイン13頭を輸入した時の記念に友好の印として鐘が贈られたのです。その鐘が鳴る牧場の朝を杉村楚人冠が詩に書いたことで「牧場の朝」という童謡が生まれたました。
当時は昼食や休憩などの合図に一日数回使われていた鐘ですが、ひびが入ってしまうと鳴らされなくなって、今は鏡石町の文化財として「岩瀬牧場歴史資料館」に展示されています。
岩瀬牧場は国営だっただけに広大な面積を持った牧場です。現在では動物との触れ合いもできるラワーガーデンや日本でも最大級のツリーハウスなどがあって憩いの場所となっています。初代の経営者岡部長職公が植栽した樹齢120年以上とされる桜の木々も見事です。きっと明治時代には広々とした牧場の中を鐘の音が雄大に響いていたことでしょう。
「牧場の朝」という童謡からはそんな牧場の朝の溌剌とした雰囲気が伝わってきて人を元気にさせてくれますね!
🐎長く知られなかった「牧場の朝」の作詞者とは?
作詞者は和歌山県出身の杉村楚人冠(1872~1945年)です。朝日新聞社の記者として先進的な制度を導入して活躍した❝新聞人❞でしたが、同時に文筆家としても著名でした。実は作詞者は長い間不明だったのですが、1973(昭和48)年に「牧場の暁」と題する楚人冠の紀行文が発見されたことで彼が作詞者であるとみなされるようになりました。そしてその後は定説となっています。
作曲者の船橋栄吉(1889~1932年)は声楽家でしたが、文部省教科書編集委員として文部省唱歌の作曲にも携わっていて「牧場の朝」の作曲もしています。
(カナエはこの曲のテンションが歌詞を変えれば軍歌としても使えそうだな、と感じましたが、作曲者の方が大日本帝国の時代に生きていたバリトン歌手であったのが威勢のよさの所以かな、とも思いました。)
🐎何故外国曲と勘違いしたのか?
「牧場の朝」という曲は子供時代に音楽の教科書で知ったと思うんですが、当時教科書には「おお牧場は緑」(チェコ民謡)とか「森へ行きましょう」(ポーランド民謡)などの外国曲があって、それで一緒くたになってしまったのかも。
でもこうした森の緑があふれた曲はとても楽しくって綺麗な印象で記憶に残っています。
🎵おお牧場は緑(日本語歌詞)🎵
おお牧場は緑 草の海風が吹くよ
おお牧場は緑 良く茂ったものだ ホイ
雪が解けて 川となって
山を下り 谷を走る
野を横切り 畑うるおし
呼びかけるよ 私に ホイ
🎵森へ行きましょう(日本語歌詞)🎵
森へ行きましょう 娘さん(アハハ)
鳥が鳴く(アハハ)あの森へ(ラララララ)
僕らは木を伐る 君たちは(アハハ)
草刈りの(アハハ)仕事しに
ランラララ ランラララ
ランラーララ
ランラララ ランラララ
ランラーララ
ランラララ ランラララ
ランラーララ
ラララ ラララ ラララララン
※ちなみに「おお牧場は緑」の日本語訳と元々のチェコ民謡の歌詞の意味は大体同じですが、「森へ行きましょう」ではポーランド民謡の方は若い娘と狩人の出会いの歌のようで日本語訳とは違っているようです。
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