【知っているようで知らなかった童謡について調べてみた】童謡「浜千鳥」に出てくる”千鳥”って本当に夜に鳴く鳥なの?

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こんにちは。カナエです。今回は久しぶりに童謡について書きたいと思います。

童謡「浜千鳥」で謳われた浜千鳥ってどんな鳥?

童謡「浜千鳥」

作詞/鹿島 鳴秋   作曲/弘田 龍太郎

青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色

夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥

「浜千鳥」とは

童謡「浜千鳥」の千鳥とは浜辺にいるチドリ科の鳥の総称でハマチドリという名前の鳥はいないそうです。「千鳥」という名の由来は多数で群がっているからで”千の鳥”という意味があるそうです。仲間で集まる千鳥は和歌では「友千鳥」と呼ばれています。

ハジロコチドリ

遠く万葉集では千鳥の歌が多く詠まれていてその大半は夜に千鳥の鳴き声を聞くという内容でした。

さ夜中に 友呼ぶ千鳥 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな 

(夜ふけに友を呼ぶ千鳥が、物思いの寂しい時に鳴きつづけて心に染みる)

けれど童謡「浜千鳥」では友ではなく親を探す千鳥が歌われています。これは作詞者の鹿島鳴秋が亡くなった自分のひとり娘をしのんで創ったとか幼い時に両親と生き別れになった鳴秋自身体験から来ていると言われています。                      

世界の民謡・童謡(worldfolksong.com)参照 

作詞者の「鹿島鳴秋」について

「浜千鳥」は鹿島鳴秋により作詞され弘田龍太郎によって作曲された童謡で1920年に子ども向け雑誌「少女号」に発表されました。鹿島鳴秋は雑誌「少女号」の編集、発行人で童話作家で詩人でした。

歌詞は鹿島鳴秋が友人だった桑山太一をもう一人の友人と新潟県柏崎に訪ね、3人で浦浜から番神海岸を散歩しているときに日本海の風景に詩情をかきたてられた鳴秋が手帳に書き記したもので、友人によるとそこにはカモメの群れはいても千鳥はいなかったそうです。あくまでも鹿島鳴秋の想像力が創った歌詞だったのでした。

新潟県柏崎市の番神海岸

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しかし「浜千鳥」の歌詞が柏崎の番神海岸で創られたことからここにはその歌碑が建てられています。

鹿島鳴秋(1891~1954)

童謡詩人。東京都江東区出身、本名は佐太郎。

小学校を卒業後商家に奉公しその後貿易会社に就職。20歳の頃応募した童話が入選すると清水かつらとともに子供向けの雑誌を刊行する。出版社を建てようと志すも失敗し満州に渡り新聞社の学芸部長となる。戦後は日本に戻り学校音楽会の劇のための創作に尽力した。

代表作に「浜千鳥」の他「金魚の昼寝」「お山のお猿」「おうち忘れて」などがある

作曲者の「弘田龍太郎」について

弘田龍太郎(1892~1952)

作曲家。高知県安芸市に生まれる。母親が一弦琴の名手であったことからその音楽的才能を受け継いだと言われる。1910年東京音楽学校(現在の東京芸大)器学部ピアノ科に入学し、在学中に歌曲「昼」を発表。1918年に児童雑誌「赤い鳥」が創刊されると北原白秋らと組んで童謡を作曲した。36歳の時には家族とともにドイツに留学、ピアノ・作曲を研究し帰国後東京音楽学校の教授となるが、作曲活動に専念しようと同年9月には辞任した。

その後は作曲活動をしつつNHKの子供番組や児童合唱団の指導にあたり、1946年には日本音楽著作権協会監事に就任した。55歳で長女夫妻の建てた「ゆかり文化幼稚園」の園長となりリズム遊びの指導など幼児教育に携わった。1952年、60歳で他界。妻は詩人高安月郊の娘の高安ゆり子。

代表作に「雨」「叱られて」「金魚の昼寝」「雀の学校」「春よこい」など多数。

「浜千鳥」を聞いて

この間家事をしていて何気なく口ずさんだのがこの「浜千鳥」でした。一体何年ぶりに思い出した曲なのか・・すごく懐かしい気持ちと、何故鳥なのに”親を探して・・”という歌詞なんだろうと気になって調べてみました。結局この童謡の歌詞は作詞家の鹿島鳴秋の想像の産物で鳴秋の心情の投影だったのですね。でも短い詩の中で親を探す小鳥のイメージが鮮明に浮かんでくることに詩の力を感じます。曲もゆったりと暖かく弘田龍太郎という作曲家の曲はどれも子供時代に聞いたなあと作品の多さに感嘆しました。

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