こんにちは!カナエです✋
西島秀俊さん主演の映画「ドライブ・マイ・カー」は世界で称賛されましたね。カナエは映画館で見損ねて動画配信サービスでこの間やっと見ることができました。もともと村上春樹さんのファンなので原作は読んでいたんですが映画にするとまた物語が違って感じられます。
それでは映画の詳しい紹介をしていきますね!
妻を亡くした「家福」と母を亡くした「みさき」
🚘映画データ
製作年 2021年 邦画
監督 濱口竜介
原作 村上春樹
脚本 濱口竜介、大江崇允
音楽 石橋英子
キャスト 西島秀俊、三浦透子、岡田将生、霧島れいか他
🚘映画のあらすじ
舞台演出家の家福悠介(西島秀俊)と脚本家の美しい妻の音(霧島れいか)は仲睦まじい夫婦でした。二人には亡くなって20年近く経つ娘がいましたがそれきり子供は作らずにいました。

ある日ロシアでの仕事で空港まで行った家福ですが、天候不良で飛行機が飛ばず家に戻ります。すると妻の音が別の男性とベッドにいるのを目撃し慌てて家から出るのでした。
動揺する家福ですがそれでも妻との関係に亀裂が生まれるのを好まず変わらぬ生活を続けます。音は家福に話があると伝えますが、その夜家福はなかなか家に戻る気になれず深夜になってやっと戻りました。
すると音はくも膜下出血で倒れていて亡くなってしまうのでした・・。
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2年後家福は国際演劇祭の舞台演出の仕事で暫く広島に滞在することになり、愛車サーブで広島まで出かけました。しかし演劇祭の運営側には滞在中は車を運転してはならないというルールがあって家福には専用のドライバーがつけられます。車の中での時間を大切にしている家福は自分以外の人間が車を運転するのを嫌いましたが、試しに運転させてみると若いのにもかかわらずスムーズな運転技術を持ったドライバーなのでした。
そのドライバーが渡利みさき(三浦透子)という名の女性だったのも家福を驚かせました。

みさきは寡黙で表情変化に乏しい女性でしたが、車中でテープを聞いて台詞の練習をする家福の習慣にすぐ慣れたようでした。テープに入っている亡くなった妻、音の声が気に入ったと言います。みさきの言葉に家福の心も和むのでした。
家福の演出する「ワーニャ叔父さん」の役者のオーディションが始まり、その中には以前音に紹介された俳優の高槻(岡田将生)がいました。彼が音の愛人だったことは間違いなく家福は複雑な気持ちになりましたが高槻を重要なワーニャ叔父さんの役に抜擢します。
以前は舞台で家福がワーニャを演じていました。けれど音が死んでからは妻を思い出させるワーニャを演じるのが辛くなってしまったのです。周囲の人間は家福が演じるものだと思っていたので意外な人選にびっくりしたようでした。
ワーニャを演じるのに高槻は苦労していました。彼は稽古の後で家福を飲みに誘い、バーで酒を飲みながら音の脚本が好きだった、音は素晴らしい女性だったと言いました。そして音の夫だった家福に羨望の眼差しを向けます。しかし家福の方は女性関係に奔放な高槻のありように俳優としてのキャリアを大事にするべきだと諭すのでした。その時二人に向かってシャッター音がしたのでプライベートを侵害されたことで高槻は怒り、家福はすばやく会計を済ませて店を出ました。
その後高槻と共演女優が追突事故を起こし、主要な役者が欠けて稽古に穴があいてしまいました。遅れて来た二人に演技をさせると出来が悪く家福は不機嫌になります。帰り際に謝罪する高槻ですが、分別を持ってくれと家福は言い放ち去っていきます。
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広島を観光したいと家福に言われたみさきは彼をごみ焼却施設につれて行きました。
きみは面白いね
呆れる家福にどこ吹く風のみさき。
この建物は平和記念公園と原爆ドームを結ぶ”平和の軸線”を遮らないように設計されてるんです
煙草を吸いながらみさきは自分の話をしました。車の運転は小さなころから母親に教えられ、母親を乗せて運転するのが常習化していたこと(眠りたい母を起こすような乱暴な運転をすると背中を蹴られた)、18歳の時地滑りで母親を亡くしたので広島にいると聞いた父親を思い出して車で(その時は運転免許を取っていた)広島に来てここ(清掃局)で運転手として働いた、と言います。
私には運転の他にはなにもできないから
家福は2年前妻を亡くしたと話しました。
みさきは死んだ娘と同い年でした。
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稽古後高槻が話をしたいと家福に声を掛けました。バーで話していると写真を撮られたので家福は高槻を先に店から出しました。外で高槻がみさきと話しているとまた写真を撮られ、高槻はその男を追って行ってしまいます。戻ってくると家福の車に乗り込みました。
家福は高槻に音の話をしました。自分たちには生きていれば23歳になる娘がいたこと、音には自分以外に複数の男がいたこと。それでも自分たち夫婦が壊れるのではないかと危惧してそのことを音に問いたださなかったこと・・。

高槻は言いました。
本当にその人間を知ろうと思ったら自分の心の中に深く降りていくしかない・・僕はそう思います。
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ワーニャを演じる高槻の演技は上達していきました。けれど突然高槻は殺人容疑で逮捕されてしまいます。彼の写真を撮った男を殴ったせいでその男が病院で死亡してしまったからです。ワーニャ役は家福が演じるか、それとも舞台を中止するかで家福は二者択一を迫られます。
迷う家福はみさきの故郷を見て見たいと言って北海道に向かいました。みさきの運転で二人は北へ北へと走ります。
旅の途中でみさきはある告白をしました。
私は土砂崩れの時母が家に残っていると知りながら助けなかった・・・。母が暴力をふるうから。二度目の地滑りが来て母は亡くなってしまいました。
僕も妻を殺した。早く帰っていれば助かったかもしれないのに・・。見ないふりをし続けた。キチンと向き合うべきだったんだ。
みさきの家は当時のまま残っていました。みさきは雪の上に花を投げて煙草を線香のようにさしました。
生き残った人間は考え続けなければいけないんだ
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国際演劇祭で家福はワーニャを演じました。客席からそれをみつめるみさき。
ワーニャ叔父さんにユナの演じるソーニャは言い続けます。
私たちは生きていきましょう
🚘映画の感想

村上春樹の小説は人との距離感を描いたものが多いです。身近にいてもわからない。深い闇がある。越えがたい孤独がある。
人を知ろうと思ったら自らの闇に降りていくしかない。それはユングの集合的無意識に似ています。井戸の底のような心の底に降り切ることで初めて❝他人❞の心への扉が開かれる・・自分が直視したくない闇であってもそこを通過しなければ新しい世界に行けないのです。
でも人は入り口で躊躇してなかなかその一歩を踏み出せない・・。
この映画では愛する人を失って喪失感に悩む家福とみさきという男女が登場します。家福は高槻の人を知りたかったら自分の心の中に降りていくしかないという言葉で自分が逃げていたことに気づくのです。そしてみさきも母から逃げていたことで自分自身を自分で殺していたことに気づくのでした。
みさきは家福の亡くなった娘と同い年で二人に強い絆があることがわかります。はっきりと描かれていませんが最後の場面でみさきが国際演劇祭で知り合ったユナたちの犬を連れて韓国で家福の車に乗っているのをみると二人は親子のように暮らしているのかもしれません。
みさきの明るい表情が印象的でした。
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