こんにちは。カナエです✋。
今回は2010年の映画「ノルウェイの森」について書きたいと思います。
喪失と再生の中で人は悩み続ける
映画データ
製作年 2010年 邦画
監督 トラン・アン・ユン
脚本 トラン・アン・ユン
原作 村上春樹
主題歌 ザ・ビートルズ
キャスト 松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、霧島れいか他
映画のあらすじ(ネタバレ)
ワタナベ(松山ケンイチ)には高校時代キズキと直子(菊地凛子)という親しい友がいました。キズキと直子はお互いが欠けたら存在できないほど絆の深い恋人同士でしたが、ある日キズキは突然自殺してしまいワタナベの生活はぽっかりと穴が開いたようになります。彼は高校を卒業すると逃げるように故郷を離れました。

1969年。東京で学生生活を送るワタナベは、寮の先輩の永沢と親しくなります。奔放な永沢はワタナベを刹那的な女遊びに連れ出しますが、自分にはハツミという恋人がいました。ハツミは永沢の性格を承知していて彼の行動を容認していましたが、ワタナベに対しては女の子との遊びは向いていないからやめるように言います。
何故永沢と別れないのですか?
そう訊ねるワタナベにハツミは静かに言います。
そういうのってどうにもならないものよ 好きなのは・・
そんなに深く人を好きになるものなのかな
優秀な永沢は卒業後は外交官になって海外に行くのでハツミとは結婚できないと言っていました。

ハツミは本当は永沢との結婚を望んでいましたが永沢が海外に行ってしまったことで別の男と結婚します。けれど数年後に自殺してしまうのでした。
ハツミの気持ちに疑問を持ったワタナベですが、自分にも運命を狂わすような出会いが訪れます。それは直子との再会でした。二人は会えたことを喜んで直子の誕生日を彼女のアパートで祝います。そしてその夜二人は結ばれますが、その直後に直子はワタナベの前から姿を消してしまうのでした。
直子を忘れようとバイトを掛け持ちして働くワタナベ。そんな彼に再び新たな出会いが・・。緑(水原希子)という同じ科の女子学生がワタナベに声をかけてきたのです。直子とは違う魅力を持つ緑にもワタナベは惹かれていきます。
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キズキを失って心を病んでいる直子は京都の山奥の療養所に居ました。
会いに来てくれる?
直子から請われたワタナベはすぐに療養所に向かいます。療養所では直子はレイコという中年女性と暮らしを共にしていました。直子はワタナベにキスしますがすぐに離れてしまいます。

山の草地を散歩しながら直子はワタナベにキズキとの関係を話しました。
すごく彼が好きだったのに・・
それでも性交渉がうまくできなかったという直子。
お誕生日の夜はあなたとあんなに簡単に出来たのに彼とはどうしてもだめだったの・・
それでも直子はワタナベともあの日以来うまくいきませんでした。
私とできなくても死ぬまで一緒にいてくれる?
もちろんだよ
優しく微笑むワタナベ。

大学では緑と会う事が多くなっていきました。
私あなたのことが好きみたい
恋人とは別れたという緑にワタナベは言います。
僕はまだ彼女を支えなければ・・終わりに出来ない
直子のことを話すワタナベに待つわ、という緑。
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療養所に出かけたワタナベは直子に寮を出てアパートで暮らす、と言います。
きみもここを出ないか?一緒に暮らそう
目を見開いてワタナベを見つめる直子。
いいわ
はっきりしたら知らせて、と言い残して大学に戻ったワタナベ。けれど直子はそれから具合が悪化してついに首を吊ったと知らせが来ました。
衝撃を受けたワタナベは一人海岸線を彷徨います。アパートに戻るとレイコが来ていました。直子の死を悼む二人はそのままベッドを共にします。
レイコが旅立った後ワタナベは緑に電話しました。
二人で最初から始めよう
ワタナベの言葉に緑は微笑むのでした。
映画の感想
カナエは村上春樹さんのファンなので小説はだいたい読んでいますが、この小説は映画化するのが難しかっただろうと思いました。

なぜって死と性についてしか具体性がない物語だから
この物語ではキズキ、直子、ハツミの死が描かれます。直子は深く愛したキズキを失って精神のバランスを崩し、ワタナベとの再会で生きようという気持ちを持とうとするのですが、やはり喪失感が勝って自分もキズキを追って命を絶ってしまいます。
どうしてもワタナベを愛せなかった直子・・彼女の気持ちはワタナベを愛する緑とは対照的な物言いで象徴的に示されていました。
直子はワタナベにそう言い方が嫌、やめてと言います。でも緑はあなたの喋り方が好きと言ってました。
ワタナベはキズキと直子を失って自分が何処にいるのか・・現実世界なのかそれとも親しかった彼らとともにいるのかわからないと最後に緑に言っています。映画の終わりに夜を共にしたレイコも直子と暮らしていた女性ですし・・あの突然の二人の触れ合いは死んだ直子が出来なかったことを代わりにレイコが果たしたという意味合いとこれからのレイコ自身の人生の再出発に女としての自信を得たかったというのがあるのでしょうが、どちらにしても直子と関係性の深いレイコと交わることでワタナベは直子と繋がったように感じたのかもしれません。
(カナエはこの物語に頻繁に出てくる男女の性の営みは死と対極にある生者としてのエネルギーのあらわれ、生きるということの根幹であると感じます。)
村上春樹の新しい小説である「ドライヴ・マイ・カー」でも妻を失った主人公がそれからの人生を模索していく有り様が描かれていましたが、彼は言っていました。
生き残った人間は(死んでいったものの喪失の意味を)考え続けなければいけないんだ
キズキや直子を忘れない・・それでもワタナベは生きるものとして緑と新しく自分の生を始めていくのです。
カナエはこの映画の見たのは二度目ですが、学生紛争や登場人物の髪型やファッション、部屋の中の様子など昭和という時代がきめ細かに再現されていてとても懐かしかったです。二度見た理由は昭和の雰囲気を味わいたかった・・それが一番の理由かな。
最後にワタナベ役を演じた松山ケンイチさんは直子への一途な愛が伝わってきてよかったけど、彼の泥臭さが村上春樹の主人公とはちょっと違うなと思っちゃったな。ネットにもあったけどカナエも筒井道隆さんが知的で薄い感じで適役に思えましたね。
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