ドラマ「アンという名の少女」第4シーズンは作られない?最終回が尻切れトンボで終わった感があるんだけど・・・

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ドラマ

こんにちは。カナエです(⌒∇⌒)。

NHK日曜の深夜ドラマ「アンという名の少女」も終わってしまいましたね!なんかインディアンの親子がどうなったのかわからずじまいだし、ギルバートとの恋愛も忙しいまま決着してあっけない終わり方だったので、カナエは製作側が第4シーズンを考えてのこうした締めくくりだったんじゃないかと考えたんですが・・そこのところを調べてみたいと思います。

原作者モンゴメリの時代と現代とでは価値観が違い過ぎた?

👒インディアンの少女、カクウェットの運命

<画像出典>https://www.chobirich.com/vod/anne-with-ane/

「アンという名の少女」は19世紀の女流作家モンゴメリの傑作「赤毛のアン」を原作にしていますが、脚本のモイラ・ウォリー=ベケットはこの作品を現代風に大胆にアレンジしました。第1シーズンの終わりから二人の悪党が現れてアヴォンリーの村人を騙したり、ギルバートが蒸気船で働いたり、ダイアナの叔母さんがLGBTだったりと保守的だった原作とは違った展開をしていきます。

第3シーズンではアンは先住民のインディアンの女の子カクウェットと友達になりますが、彼女は白人に学校で学べると言われて両親と離れ離れになります。けれども学校とは名ばかりの嘘っぱちで働かされ虐げられる日々に耐えられず親の元に戻りますが、再び❝学校❞に無理やり連れていかれてしまいました。

アンはカクウェットの窮状を知って憤り何とか救おうとしますがインディアンを抑圧する大人たちを前にどうにもできず、彼女自身忙しい時期でもあったのでなんとか娘を取り戻そうと粘るカクウェットの両親に救出を任せるしかありませんでした。

結局最終回ではカクウェットは学校側から助け出されず終わってしまい、このままでいいの?という気持ちにさせられます。カナエは第4シーズンでカクウェットが救出されるものだと思っていましたが、第3シーズンで打ち切りではこのインディアンの少女は不幸なままになってしまったということなんですね”(-“”-)”。

ギルバートとの関係もアンが手紙を書いてギルバートの家に置いてきたのに本人に届かず、行き違いになったままドラマの最後まで二人は互いの気持ちを知らないままでしたが、ギルバートがウィニフレッドに求婚しなかったことをウィニフレッド本人から偶然に聞いたアンは彼のもとに向かいます。ギルバートも汽車で会ったアンの親友のダイアナからアンの気持ちを知ってアンのもとへ急ぎやっと二人は気持ちを確認できますが、ギルバートは自分が合格した大学に行かなければならずすぐに旅立ってしまいました。

え?またなんでそんなにアタフタ行っちゃうのという観ている側がもどかしくなる去り方でしたが、これで最終回ならもっとゆったりと二人が会話して通じ合えた方がよかったのにどうして第3シーズンはこんな風に観ている側に疑問を感じさせる終わり方になってしまったのかなと思うんですよね😮。

👒「アンという名の少女」は何故打ち切られた?

<画像出典>https://jyakkutomamesuke.muragon.com/entry/1396.html

モイラ・ウォリー=ベケットは2019年にインタビューでこんな風に答えています。

モンゴメリの原作「赤毛のアン」には白人優越主義的な部分が多く、現代の多様的な価値観と食い違っていて物語が進むにつれてすり合わせが困難になった

アンがアヴォンリーにやってきたころはまだほんの少女で、マリラマシュー、学校の友達や村の人達との交流が殆どだったのでさしたる問題も(小さなことはあるけれど)さほど起きず、平和に暮らしていけました。けれどアンが大人になるにつれて世界も広がってきて現代的な視点でアンの時代を描くことが困難になってきたのではないでしょうか。第3シーズンを終えた時点ではまだ第4シーズンに続けようという態勢ではあったものの、構想を練り始めると問題が噴出したのかもしれません。

第4シーズンを望む視聴者からの嘆願運動もあったのですが残念ながら「アンという名の少女」(シーズン4)は製作されていないようです💧。

👒セバスチャンと母親の言い争いからわかる人種差別

<画像出典>https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c084003/

「アンという名の少女」(シーズン3)ではセバスチャンというギルバートの黒人の親友が主要なキャストとして登場します。そして彼と孫の面倒をみにアヴォンリーにきた彼の母親との諍いにこのドラマの主張が込められている気がします。

母親は白人に対して服従の態度を崩さない、けれどセバスチャンは人間はみな同じという立場で対等であろうとします。そんな息子を母親は激しく諫めるのです。なぜそこまで卑屈なのかと観る側も疑問を感じるのですが・・

彼女の夫(セバスチャンの父親)が白人に殺されたからなんですね

夫のようになって欲しくない・・それで母親はセバスチャンに白人に大人しくあれ、と強制したのです。でもアヴォンリーではセバスチャンは村の人間として同等であると皆から認められているのがわかると母親は最後には考えを改めます。

アンという名の少女はそうした人間の差別意識に反対するメッセージが全編を通して見られます。

👒アンを取り巻く愛にあふれた人々

<画像出典>https://qjweb.jp/column/43445/

メッセージ性にあふれたドラマでしたがそれ以外にも風変わりだけれど想像力の豊かなアンとアン愛するマリラ、マシューという家族、そして友人たちとの触れ合いなど暖かさが伝わってくる優しさに満ちた物語でもありました。

ギルバートと結婚するまでアンを見ていたかったなあ、と残念に思います。

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