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【知っているようで知らなかった童謡の意味を調べてみた】「てまり歌」って興味深いけど怖いもの?

こんにちは。カナエです✋。

8月に入って連日暑さが続いてますね~。BMIが高いカナエは運動せねばとタラタラ汗を流しながら散歩をしておりますが、散歩コースの公園は夏休みに入った子供たちが元気に飛び回っていてとっても賑やか。そんな光景を眺めつつ、あんな風に何も考えず追いかけごっこなぞしたのはいつの頃であったろうか・・などと感慨にふけるオババ、カナエでありました。

そういえばカナエは幼少期に毬をついていた記憶があります。

あんたがたどこさ・・肥後さ・・

などと意味もわからない歌を歌いながら足を回して毬をくぐらせるのがうまくできず、すぐに飽きてやめちゃったのを覚えてます。でもあの歌はどんな意味だったんだろうと今更ながらに思いました。

―というわけで今回は昔懐かしい毬をつきながら歌う「てまり歌」について調べたいと思います。

“あんたがたどこさ″のあんたがたっていったい誰なのさ??

【てまり歌 あんたがたどこさ】

この歌の歌詞は?

作詞・作曲<不詳>

  あんたがたどこさ 

肥後(ひご)さ

 肥後どこさ

熊本さ

         熊本どこさ           

せんばさ

せんば山には 狸(たぬき)がおってさ

それを猟師(りょうし)が 鉄砲(てっぽ)で打ってさ

煮てさ 焼いてさ 食ってさ


それを木の葉で チョッとかぶせ

あんたがたの意味は?

このわらべ歌は幕末の時代からの伝唱歌だと言われています。

幕府と戦った薩長連合軍が川越に駐屯していた時、近所の子供たちに“どこから来たの”と訊ねられて“肥後から”と答え、さらに“肥後ってどこ?”と聞かれて“熊本だ”と答えた会話が元になって歌が出来たんだそう。 (太田信一郎「童歌を訪ねて」参照)

どんな勇猛果敢な兵隊も子供に優しい・・無邪気な子供たちとの気軽な触れ合いから生まれた歌だったんですね。

そしてせんば山という場所は諸説あるらしいのですが、一説には熊本の船場というところの船場橋近くにある高校の中の丘だと伝えられています。

兵隊さんが子供の問いに対して熊本のせんば山には狸がおってなあ それを漁師が鉄砲で撃ってさあ 煮て焼いて食べちゃったんだよって冗談ぽく答えてるんでしょう。残った骨は木の葉を被せて隠しておしまいにしちゃうんだよっていうのはちょっと残酷な気がしますけど(まあ今でもイノシシやウサギを食べるんだから昔狸を食べたって普通のことかも知れませんが) 😓。

でもそういえば木の葉を乗せるっていうと昔話でよく狸が何かに化ける時頭に木の葉を乗っけてますよねえ・・それとは全く関係ないのかな?食べちゃった狸に木の葉を乗っければ化けて元に戻るとかそこまでの歌ではないですよね??←わらべ歌ではそんなことまでは考えてないか💧。・・それにしても余談ですがなぜ狐や狸って人を化かすって言われているんでしょうか。日本だけの言い伝えなのかな😶ちょっと気になってしまったんでそこも調べてみたいと思います。

タヌキや狐は何故人を化かすと言われるの?

キツネやタヌキが人を化かすというのはもともと中国の伝説だったらしいです。中国ではキツネを狐狸(こり)と書いてこの言葉は狐だけを指していました。

中国の神話に「九尾の狐(9本の尾をもつ狐)」という妖怪がいて、それが日本に伝わって狸とセットで化かす動物という言い伝えが出来上がったみたいです。

「あんたがたどこさ」のさまざまな解釈

この歌に出てくる狸を徳川家康(=幕府軍)に例えている(鉄砲で撃ってやっつけてやる!)との説や怖い解釈では飢饉の際に亡くなった子どもを親が食べてしまうということを子供を狸に例えて歌っているとも言われています。うう恐ろしいな~・・。作者不詳で意味がよくわからない昔の歌って社会が不安定だったことから恐ろしい意味づけをすることがよくありますね。

他にもある「てまり歌」

「一番はじめは一の宮」(一番はじめは 一の宮、二また日光中善寺、三また佐倉の惣五郎・・と歌っていく)や京のてまり歌(まるたけえびすに、おしおいけ、あねさんろっかく・・と京都の地名を歌っていく)、一列談判という日露戦争について歌った東京のてまり歌などがあります。


そして”てまり歌″ではありませんが、毬を歌った童謡に「てんてんてまり・・」というよく耳にした歌がありました。

毬つきの歌、「毬と殿さま」について

「鞠(まり)と殿さま」の歌詞

西條八十作詞・中山晋平作曲

てんてん手鞠(てんまり) てん手鞠(てまり)
てんてん手鞠の 手がそれて
どこから どこまでとんでった
垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ とんでった とんでった

おもての行列 なんじゃいな
紀州(きしゅう)の殿さま お国入り
金紋(きんもん) 先箱(さきばこ) 供(とも)ぞろい
お駕籠(かご)のそばには ひげやっこ
毛槍(けやり)をふりふり やっこらさのやっこらさ

てんてん手鞠は てんころり
はずんでおかごの 屋根のうえ
「もしもし 紀州のお殿さま
あなたのお国の みかん山
わたしに 見させて下さいな 下さいな」

お駕籠はゆきます 東海道(とうかいどう)
東海道は 松並木(まつなみき)
とまり とまりで 日がくれて
一年たっても 戻(もど)りゃせぬ
三年たっても 戻りゃせぬ 戻りゃせぬ

てんてん手鞠は 殿さまに
だかれて はるばる 旅をして
紀州はよい国 日のひかり
山のみかんに なったげな
赤いみかんに なったげな なったげな

この歌の解釈は?

この童謡は1929年(昭和4年)に西條八十の作詞、中山晋平の作曲で発表されました。子供がついていた毬がコロコロと大名行列の前まで転がっていき、そのまま籠の上に乗っかって紀州まで旅をしてお山のみかんになってしまったというお話です。

そのファンタジックな内容のせいか、大名行列の前に毬を転がしたことで大名様の怒りに触れて追いかけて来た子供は刀で切られそのまま帰らず魂は赤いみかんになってしまったという怖い解釈もあるようです。

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