今日は寒いですね。カナエです💛
今回も昔の童謡をご紹介したいと思います。今回は「月の砂漠」です。
(以後敬称略で書いていきます)
哀愁漂う曲調が印象的な月の砂漠
<童謡「月の砂漠」>
「月の砂漠」は1923年(大正12年)、当時挿絵画家として人気があった加藤まさをが現在の講談社の前身だった「大日本雄弁会講談社」発行の雑誌「少女倶楽部」に発表した挿絵と詩です。それに作曲家の佐々木すぐるが曲をつけて童謡「月の砂漠」となりました。
カナエは小学校に入ったばかりの頃、初めて貰った教科書の最初のページ(多分国語だと思うのですが)にこの詩と砂漠を行く二人連れの絵が載せられていたように記憶しています。よくおばあちゃんがそんな小さい時のことを覚えているなあ・・と思われるかもしれませんが入学したばかりの教室で一番最初に開いた教科書ってかなりインパクトがあったんだと自分でも思います。それもエキゾチックな遠い砂漠の絵を見て子供心にも夢の国のような魅力を感じたんでしょう。
ついでに言うとカナエが一年坊主(女の子だから坊主とは言わないか😓)の時の教科書って本当にぺらぺらに薄くって字もめちゃ大きかった・・四年生くらいになると大分厚くなったんだよね。今はパソコン導入の時代だから小学生の教科書事情もかなり変わっちゃってるのかなあ。
―おっと、教科書の話じゃありませんでしたね!脱線しちゃいましたわん(+_+)
🐫あくまでも空想で作った「月の砂漠」の詩
1927年にラジオで放送されたことで評判になり巷に知られるようになった「月の砂漠」ですが、詩を作った加藤まさを本人は新聞社のインタビューに答えて、「少女倶楽部」の方で“何でもいいから書いてくれ”と言われて作った詩だと言っています。自分は砂漠なんて行ったことはないけれどあこがれがあって、それが砂漠の詩を作った理由なんだそう。だからあくまでもイメージの歌なので、現実的には王子様とお姫様だけで旅するなんて危なくて無理な話なんです。
カナエも月の光を浴びながら二人で旅するなんてとてもロマンチックな情景に感じました。まあ童謡なんだから事実と多少異なっても歌が良ければいいんだけど、何故日本にこんな歌があるんだろうとずっと思ったりもしてましたね。
🌺🌺🌺🌺
ではここで「月の砂漠」の素敵な歌詞を四番まで記しておきます。
🌒月の砂漠
<画像出典>https://ja.wikipedia.org/wiki/月の沙漠
1 月の沙漠をはるばると
旅の駱駝(らくだ)がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて
二つならんでゆきました2 金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕
二つの甕はそれぞれに
紐(ひも)で結んでありました3 さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人はおそろいの
白い上衣(うわぎ)を着てました4 広い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜を
対(つい)の駱駝はとぼとぼと砂丘を越えてゆきました
黙って越えてゆきました
以前カナエは「シェルタリング・スカイ」という映画記事を書きましたが、その映画で主人公の女性がアラブの隊列に拾われて砂漠を駱駝で移動するシーンがありました。そこでは日中の酷暑、水不足という砂漠の自然の厳しさに参ってしまう主人公が描かれていました(駱駝の背中に水甕(かめ)を置いても暑さで蒸発しちゃうみたいです)。それとは対照的にこの童謡はどこまでも幻想的で美しく物悲し気な雰囲気に満ちています。
でもそれこそがこの歌がいつまでも歌い継がれる理由なんでしょうね💑。
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