【知っているようで知らない童謡について調べてみた】童謡「青い目の人形」の歌の由来は?

お正月三ヶ日もあっという間に過ぎてしまいましたね。カナエです(*^_^*)

今回は童謡「青い目の人形」について書きたいと思います。作詞、作曲は前回書いた「赤い靴」と同じ野口雨情、本居長世でした。(敬称略)

「青い目の人形」は覚えやすい歌詞でいつまでも記憶に残る歌

青い目の人形

<青い目の人形>

青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド

日本の港へついたとき一杯涙をうかべてた

私は言葉がわからない 迷子になったらなんとせう

やさしい日本の嬢ちゃんよ 仲良く遊んでやっとくれ

仲良く遊んでやっとくれ

<画像出典>https://www.iwaki-cc.ac.jp/douyou/aoimenoningyou.html

👩この歌の作られた経緯は?

1921年(大正10年)に発表された童謡です。野口雨情はセルロイド製のキューピーがその頃人気があり子供たちが遊んでいるのを見て、この歌の歌詞を創ったと言われています。

<キューピー(大正時代)>

<画像出典>https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/rekihaku-meet/seminar/kodomo/bunka-jiten/taisho.html#item4

ちなみに昭和2年(1927年)、日米関係が悪化した時になんとか両国の関係を改善しようと人形を贈り合ったことがありました。その時アメリカから贈られた人形は「青い目の人形」と呼ばれたそうです。それで雨情の童謡となにか関係があるのでは…と思われがちですが、大正から後の世のことであり、雨情の童謡との関連はありません。😀

大正時代は童謡や童話がたくさん作られた時代でしたが、それは純粋無垢な童心に戻って歌や童話を創ろうという「童心主義」がトレンドだったから。この歌でも小さな子供が感じるように人形を生きた人間のように捉えて、はるばるアメリカからやってきて言葉もわからずに悲しいだろう・・と人形の気持ちになって歌を作っています。言葉が素朴でシンプルなので子供から大人まで手軽に口ずさめるし曲調も明るいので楽しい気分になる良い歌ですね!

👩野口雨情と本居長世ってどんな人?

野口雨情(本名、英吉)は、明治15年(1882年)現在の茨城県北茨城市磯原町で誕生しました。家は代々水戸藩の薪炭奉行を勤め廻船問屋を営む名家でしたが、雨情は20歳の時から詩を書き始め一度は家業を継いだものの後に新聞社に入り大正8年頃から童謡を書き始めています。代表作に「雨降りお月さん」「七つの子」「しゃぼんだま」などがあります。

本居長世は明治18年(1885年)東京都御徒町に生まれました。こちらも先祖代々有名な国学者の家系で長世も国学を継ぐことを望まれていましたが、周囲の期待に反して音楽家を志すようになります。1910年には東京音楽学校のピアノ科の助教授となり、以後野口雨情と組んでたくさんの童謡を作りました。

👩カナエが遊んだ昭和のお人形

「青い目の人形」というとカナエが幼少の頃、両親から貰ったお人形を思いだします。金髪、青い目で寝かせると目を閉じ体を起こすと目を開けるセルロイドのお人形でした(体は結構硬かった・・)。ミルク飲み人形というのもありました。これは口の処に穴が開いていて水が入れられるようになっていました。体の中は空洞でお尻に穴があいていてそこから飲んだものが出るようになっていただけ。今考えると原始的な作りの人形でしたが小さかった女の子たちはお母さんの真似をして本当に牛乳を飲ませたりして遊んでいました。

<画像出典>https://gbttf.com/milkdoll/

年齢が高くなるにつれスカーレットちゃん、バービーちゃん、リカちゃん、と遊ぶお人形が変わっていきましたっけ🙄。

そういえばカナエの家の日本人形みたいなのは箱の中に入っていたので遠い存在でしたね。ですから髪の毛の黒い切れ長の目の日本人形で遊んだことがなく、どこか不気味で今でもホラー映画に登場する怖いものと言った感じです・・。