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【知っているようで知らない民謡について調べてみた】「会津磐梯山」はなぜ宝の山なのか?

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こんにちは。カナエです。いやはやもう年末ですね~😓。今年は正月から地震があって夏はもう暑くてたまらんな~と過ごしたらもうお正月がすぐそこに・・。なんかいつもより1.5倍速かった気がする2024年ですが・・能登の方々は年の初めに悪い記憶が出来てお気の毒です。復興を早く進めて欲しいですね!!

”めでためでたの若松さま”って会津若松のことじゃないの??

今年2024年の5月に磐梯山近くのホテルに泊まったんですが、そこからは磐梯山がよく見えました。で、そのホテルはお客にアクティビティをたくさん提供していて、夜は磐梯山音頭を皆さんで踊ったんですよ。オババカナエも一緒に行った高校の同級生(もう40年来の長き付き合い・・💧💧)も踊りに参加しましたが、あの「会津磐梯山は宝の山よ~」っていうやつです。

会津磐梯山 (民謡)

会津磐梯山の歌詞

エイヤー会津磐梯山は
宝の山よ
笹に黄金が
エーマタなり下がる

(チョイサーチョイサ) 
または
(スッチョイ スッチョイ スッチョイナ) 
※以下、唄ばやし省略

エイヤー東山から
日日の便り
行かざなるまい
エーマタ顔見せに

小原庄助さん
何で身上潰した
朝寝、朝酒、朝湯が大好きで
それで身上潰した
ハーモットモダーモットモダ

エイヤー会津盆地の
緑の夏よ
風もほがらに
エーマタ鶴ケ城
<以下略>

民謡「会津磐梯山」の歌詞の中の”宝の山”って?

会津磐梯山の歌詞には<会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がエーマタなり下がる>とありますが、磐梯山周辺で黄金(金)が採掘されたという史実は無く、昔、会津地方で飢饉があったときにイネ科の笹の花が磐梯山周辺に咲き実(自然粳)をつけたので、人々はそれを 磨り潰して飢えをしのいだそうです

笹の花ってこんなもの

笹は数十年から百数十年にたった一度だけ一斉に開花する植物なので、飢饉の時期に偶然にも一斉開花した笹を見た人々は大変ありがたかったことでしょう。だから笹の実を見て「宝の山」と呼んだということです。

”小原庄助さん”は実在の人物なのか?

<小原庄助さん 何で身上潰した 朝寝、朝酒、朝湯が大好きで それで身上潰した ハーモットモダーモットモダ>

この民謡を聞くと気になる”小原庄助”さん。電気のない時代に”朝寝、朝酒、朝湯”をしていたらそりゃ身上潰しますよね。この小原庄助さんのモデルは白河市の臨済宗、皇徳寺に墓のある会津塗師・久五郎ではないかと言われています。久五郎は会津藩領大原新田村(現在の猪苗代町)の人物で大酒飲みであったそうで、「会津磐梯山」の元々の歌詞にはこの”小原庄助さんの囃し”はありませんでした。昭和になって小唄勝太郎という女性歌手が「勝太郎節」としてこの囃しを取り入れたそうですが、久五郎さんも後世でこんな風に唄われてちょっと気の毒な気もしますね😐。

民謡「会津磐梯山」はかなり長い?

<エンヤー音に聞こえし 飯盛山で 花と散りにし エーマタ白虎隊・・・翁島、滝川、・・舟石>

民謡「会津磐梯山」は地名の入った歌詞が延々と続いて162番まであるそうです。よく知られた「会津磐梯山は宝の山よ」の歌詞は21番目に当たるそうで、猪苗代湖、東山温泉、鶴ヶ城などの北磐梯から会津盆地、飯盛山の白虎隊などまで広い地域を唄っています。

ずっと勘違いしていた若松様は山形県のお寺だった!

オババカナエはこの民謡を「会津若松」の”若松”と勘違いして、磐梯山の「宝の山」といい、「めでためでたの若松様」といい、昔会津地方は繁栄していたんだな、と勝手に解釈してましたが大きな勘違いでした。この民謡は山形の花笠音頭で、歌詞に出てくる「若松様」とは天童市にある鈴立山若松寺(若松観音)のことでした。

若松寺(若松観音)

「西の出雲、東の若松」と呼ばれるほど、霊験あらたかな巡礼地で縁結びの寺として有名だそうです。そういえば”若松”って名字の方もいるほど広く使われてる名前でしたね。勝手な勘違いでした😓。

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