こんにちは。カナエです(#^.^#)。
いや~ ファトマ皇女、なかなかあざといですね!ミフリマーフ皇女の恋人にしようと目論んでいたイランの王子アルカスを自分の愛人にしちゃうなんて💛。
もちろん皇女様もアルカスからの意外な愛の告白には最初は驚きました。でもヒュッレム妃の策略で気に入らない元夫のムスタファと再婚させられた夜は笑顔で邪魔な夫を亡き者にしちゃった方なのに、男前の王子様となるともったいなくて受け入れちゃう。ずっと愛が遠かったの・・なんてアルカスにつぶやいて秋波を送るところは経験豊富な熟女といえますね。
アルカスと婚約して一番苦労がないのはこの方だな~と思っちゃう(‘◇’)ゞ。やっぱり微笑みの力は最強なのね!
皇帝夫婦を悩ませるジハンギル皇子の病気とは・・
ファトマ皇女に騙されたミフリマーフ皇女は逆襲を仕掛ける
ミフリマーフ皇女だって叔母のファトマ皇女にやられっぱなしではいられません。なんてったって母親はあのヒュッレム妃なんですから!自分を侮辱した叔母に姦淫罪を当てようとしますが、夫のリュステムによって阻止されます。ミフリマーフ皇女から離婚を言い渡されたリュステムは彼女の思惑を邪魔しないではいられず、敵だったファトマ皇女を窮地から救ったのでした。
ミフリマーフの企てには母親のヒュッレム妃も怒りを向けます。
お母様にとって叔母さまは邪魔なはず・・
ミフリマーフは抗弁しますが、ヒュッレム妃は皇統の人間に姦淫罪は恥だとミフリマーフに説きます。ファトマ皇女は夫、スレイマン皇帝の妹なのでオスマン帝国の皇族への侮辱にもなってしまいますから。ファトマ皇女とアルカス王子の婚約という形でもめ事を決着させたリュステムの采配は歓迎されたわけです。でもそれで引き下がるミフリマーフなんでしょうか・・・。
末の皇子ジハンギルの哀しみ
スレイマン皇帝の末子ジハンギル皇子は生まれながらに背骨に障害がありました。 ドラマでも父親スレイマン皇帝やヒュッレム妃の嘆きの種になっていますね。いくら権力者スレイマンでも病気を治すことは出来ません。
ジハンギル皇子は文学を愛する知性的で繊細な青年に成長しました。病で宮殿から外になかなか出られない皇子は宮殿の中で起きる策謀に敏感で敬愛する兄のムスタファ皇子に手紙で知らせていました。
そしてハティジェ皇女とイブラヒム大宰相の娘であるフーリジハンに想いを寄せていましたが、自分の不格好な姿を恥じていて気持ちを伝えることはなく兄のバヤジト皇子との恋を見守ることしかできませんでした。
ジハンギルは兄のセリム皇子から宮殿の外に出られない哀れな弟だと嘲笑されて自分も皇子として遠征に行きたいと父、スレイマン皇帝に懇願します。母親のヒュッレム妃は持病を持つ息子が苛酷な戦いの場に赴くことを止めようと側女をあてがって夜を共にさせますが、側女が自分のこぶのある背中を見て嗤っていると怒って追い出してしまいました。遠征への希望を捨てない息子に両親は悩みます。
そんな辛い人生を送るジハンギル・・一体彼の病気とは何なのでしょうか?
ジハンギル皇子の病気とはくる病?
人の背骨はS字状に曲がっていますが曲がり方の異常で背中が丸く盛り上がって生まれてくる子供がいます。一般に ❝せむし❞ と呼ばれる奇形ですが現在は先天性欠損症(くる病)という呼称で、カルシウムやリン、ビタミンD不足が原因とされています。 「オスマン帝国外伝」の時代は治療法もなく運命として受け入れるしかない病でした。ジハンギル皇子は5人目の子供ですから母親のヒュッレム妃からの十分な栄養を受け継がなかったのかも・・いくら皇族でも昔なので栄養を考慮した食事をとれてもいなかったでしょうし・・。
❝せむし❞ といえばフランスの作家ヴィクトル・ユゴーの「ノートルダムのせむし男」という有名な物語がありました。背中にこぶのあるノートルダム寺院の鐘つきが美しい女性に恋をするものの拒絶されるという物悲しいお話。いくら心が綺麗でも外見が奇妙だと人は愛されない・・そんな不幸な現実を謳った物語でありました。
遠征に出たいと言うジハンギルや離婚したいと訴えるミフリマーフなど小さなころはただ守ればよかった子供たちも大人になってそれぞれの主張をするようになります。スレイマン皇帝とヒュッレム妃夫婦は良い解決法を見つけられずに頭を抱えるばかり・・いつのまにかスレイマン皇帝のヒュッレム妃への処罰も消えて5人の子供の将来を互いに憂う長年連れ添った夫婦として落ち着いてしまいました😌(カナエも親だけに二人の気持ちがよくわかります・・)。
それにしても悩み多き皇帝スレイマン
ミフリマーフやジハンギルのこと、後継者問題、対外遠征など皇帝は心休まる暇がありません。イブラヒム大宰相の日記を見て倒れてしまうスレイマン・・。
カナエは第2シーズンの途中からこのドラマを観たのではじめの頃を知らないんだけど、イブラヒムは皇太子だったスレイマンのお小姓だったからまあそういう関係だったと言う説を最近知りました😓。だからイブラヒムはヒュッレム妃とスレイマン陛下の寵愛を激しく競ったのかあと今になって納得(でもおじさんになった二人をそういう位置に据えるのってちょっと抵抗があるなあ・・なんか)。
それでイブラヒムの日記はスレイマンの心に深く刺さってしまうんでしょうかねえ・・。
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